まんのう町勝浦の山奥。人里離れた一軒家で「七島草履(しちとうぞうり)」を編んでいるのは 達磨工房の寺田真也さんです。
10代から世界を1人旅してきた寺田さん。
仕事と家庭。安住の地を求め、行きついた先は、「まんのう町」の山奥にあった「空き家」でした。
寺田さんは、なぜ「まんのう町」に移住してきたのか、そして、寺田さんが編む「七島草履」とはどんなものなのか、番組でお話をお伺いいたしました。
まんのう町 勝浦の山奥にある築100年以上の古民家。 この古民家を借りて、草履を編んでいるのは七島草履 達磨工房の寺田真也さんです。
七島草履とは、どんなもの?
七島いは切り口が三角形の植物でとても丈夫。畳の香りがする。
草履は履いているうちに足の形に馴染んでくるもの。
七島草履に出逢うまで
高松市出身、東京育ちの寺田さんは現在、奥さんと子供と3人で暮らしています。
今では、「山の暮らし」をしていますが、10代の頃はサーファー。
波を追いかけ、10年以上、アジア各国を一人で渡り歩きました。
「海外の経験で日本文化を好きになりました。もともと靴が嫌で、ずっと足にあう履物を探していたんです。そこで、友人に師匠の草履を紹介されて、すごくよかったんです。」
七島草履の伝統を受け継ぐ
サーフィンから伝統に変わった寺田さんは「はかた草履」の職人「忠工房(ちゅう こうぼう)」吉野忠記(よしの ただき)さんに師事し
一年間、東京の自宅で、ひたすら草履を編み続けました。
一年間編み続け師匠に見せて 師に認められたのが16年前です。
東京の家を引き払いキャンピングカーで日本中を自分で売って回りました。
こちらがキャンピングカー。今でも寺田さんの工房に。
全国を回った寺田さんは、生まれ故郷である香川県に帰郷。
七島草履の工房探しに奔走します。
「七島い」を自分で育てる
山に惚れ込み、平成23年から まんのう町に移り住んだ寺田さん。寺田さんが編む「七島草履」の材料 「七島い」は産地の減少により 近年入手が困難と言われています。
そこで寺田さんは、静岡で自生していた「七島い」の株、10株を知人から譲り受け、まんのう町で育てることにしました。
6年目には10株が2反に
原材料を自給できるように「七島い」を育てる寺田さんは、さらに、展示会やワークショップなども開催し、草履の素晴らしさを伝えています。
ワークショップの風景
「昔は誰でも作れた日常のものだったんです。」
そう語る寺田さん。
世界各国を旅したからこそ、知ることのできた「日本文化」の尊さ。 暮らしの中に息づいていた先人の知恵を、今に残していくために 寺田さんは草履を編み続けます。
その場所として選んだのは、まんのう町の山間部にある古民家でした。
まんのう町の自然が、寺田さんのような移住者の心をつかみます。
「自然が好き。コンビニに行っても、買いたいものがないんです。自分で作ってありがたくいただく。それが一番だと思います。」
自分の仕事がなくなるのが夢
「身近なものに戻ってほしいです。普段履きに草履を履いて、そして草履を編める人が増えてほしい。将来は、自分の仕事がなくなるのが夢です。子供らに正しく伝えていきたいと思います 」